設立に至る経緯
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1979年、故梅樟忠夫博士(当時、国立民族学博物館々長)が「国立産業技術史博物館」の設立を提案しました。多くの工業先進国は有数の産業技術に関する博物館を設置し研究活動を展開していますが、 産業技術大国である日本は今日に至るも本格的な産業技術史博物館をもたないという現状です。日本の近代化の過程を正確に理解し、今後の方向を探る上で、研究機能を備えた産業技術史博物館が必要であることは明らかでしょう。
その実現に向けて、大阪府、大阪市、大阪工業会 (のちに大阪商工会議所)、および日本産業技術史学会は、国立産業技術史博物館誘致促進協議会を結成して誘致活動をすすめました。それとともに、博物館の収蔵品となるべき多数の実物資料および文献資料を収集・保存し、その数は約2万点に及びました。
しかしながら、多くの関係者の多年にわたる努力にもかかわらず、同博物館構想は未だに実現していません。国および地方自治体の財政の窮迫、国立研究機関・大学等の独立行政法人への移行などの情勢のもとで、新たな国立博物館の開設はきわめて困難な状況が続いています。また、「国立博物館の誘致」を目的とした同協議会も、社会情勢の変化とともにその活動継続することが困難となりました。
収集された約2万点に及ぶ貴重な実物および文書資料は、仮収蔵庫として旧鉄鋼館地下をお借りして収蔵していましたが、旧鉄鋼館の大幅改修のために、2009年3月には地下を明け渡さなければならない事態を迎えました。
同協議会の解散と資料の廃棄という危機的状況を迎えたことは遺憾でありましたが、日常的な活動を通して培われた関心ある人びととのネットワークにより、相当数の重要な資料が廃棄を免れ、保存と活用の途を展望することができたことは不幸中の幸いでした。この間の活動を通して、産業技術資料に関心のある個人、団体、組織の広がりを、私たちはあらためて認識した次第です。
そこで、「特定非営利活動促進法」にもとづく特定非営利活動法人産業技術資料保存調査会を設立し、「大阪への誘致」という従来の枠組にとらわれず、ひろく産業界、学界、官界、市民の協力を得て、産業技術資料の収集、保存、研究、活用の活動を実施することとし、2008年5月をもって発足するに至りました。